茨城観光 水戸納豆料理、弘道館、偕楽園編
どうもねごとです。
今日は前回の続きを書いていきたいと思います。
まずは水戸納豆ランチ
水戸でご飯 = 納豆 という安易な発想で納豆尽くしのランチを食べることに。
選んだお店は水戸駅にもほど近い「てんまさ」さん!!
オムレツから天ぷら、汁物までご飯以外は全て納豆が使われてます。
納豆好きの自分としては納豆料理を満喫できて大満足でした。
納豆料理のバリエーションなんて一人暮らしの男には全然思いつきませんしね~
あと鮟肝もおいしかった!
食事中に「水戸納豆の始まりって何だったんだろうね~」って話になって調べたら...
水戸と納豆との関わり
現在から2300年余りもさかのぼるといわれる納豆の歴史。関東以北では武士の棟梁・八幡太郎義家の伝説が数多く残っている。永和3年(1083)、奥州平定に向かう八幡太郎(源)義家の軍勢が常陸国で宿営し、義家は宿駅の駅長だった渡里の里(水戸市郊外)の一盛長者の屋敷に泊った。この時、家来が馬の飼料に作った煮豆の残りを藁で包んでおいたら、煮豆は自然に発酵して糸を引くようになっていた。ためしに家来が食べてみると、これが実にうまい。そこで義家に献じたところ、大変喜ばれた。以来、将軍に納めた豆という意味で“納豆”と名付けられ、近郷の農家に広まった。
何ですかこのパワハラ!!
馬の飼料用の豆が糸ひいてたから家臣に食べさせるって鬼かよ!!
いや~こんな経緯で出来たものを将軍に献上した勇気は評価するけどね。
とはいえ納豆の名前の由来がこんな話だったとは意外でした。
豆知識を得ました。豆だけに。
弘道館へ
まずは幕末水戸の精神を学びに弘道館へ。
ブラタモリの水戸回でも紹介されていたのでぜひとも行きたい場所でした。
弘道館とは水戸徳川家9代藩主の徳川斉昭が開設した藩校のことです。
藩士とその子弟が学問、武芸の両方をここで学んだようです。
入ってすぐに見えたのがこの掛け軸。
幕末が舞台の大河ドラマでみたことあるやつーーーーっ!!
これのインパクトもあって斉昭さんは「外国船は打ち払え!!」派のイメージが強い私です。
とはいえ弘道館の中を見ていくと激しいだけではない指導者、教育者であることが垣間見ることができます。
それがこちら。
斉昭「水戸光圀公が大事にしてきた学問を重んじる精神を引き継いで弘道館を開きます。」みたいなことが書いてあるみたいですね。(うろ覚えですみません(-_-;))
要は弘道館開設に至った経緯とか意気込みとかも書いてあるのです。
直筆みたいですし弘道館の精神でもある文武両道をかたちにしたような人だったようですね。
偕楽園へ
続いて偕楽園へ行きました。
日本三名園ということで大変楽しみにしておりました。
ブラタモリによると弘道館と偕楽園はそれぞれ「一張一弛(いっちょういっし)」というコンセプトで作られたようで…
学びの緊張を弘道館、その後の癒しの場が偕楽園が担っていたとのこと。
ブラタモリでおすすめされていた表門から竹林、杉の路を経るルートで好文亭という施設まで散策~。
竹林のあたりは本当に静かで思索に耽ったりするにはもってこいという場所で藩士たちにとって癒しの空間だったという話には納得でした。
そしてたどりついた好文亭がこちら
なんと3階建てです!!
斉昭さんいちいち画期的ですね。
それでは1階からご案内します。
まず1階のおすすめポイントはこちら。
千波湖を池に見立てて借景にしたお庭を望むことが出来ます。
当日は天気も良く風も心地よく本当に癒される場所でした。
このままずっと居れるなと思えるほどに。
続いて2階と言いたいところですが控えの間と階段の踊り場スペースぐらいしか見ることができなかったので飛ばします。
そしていよいよ3階。
3階のおすすめはこちら
3階は展望デッキみたいになっていて1階とはまた違った高さで景色を楽しむことが出来ます。
遠くに見えるのが千波湖ですがちゃんと借景してますね。
最後にお庭へ
写真で見えていたお庭に最後に行きました。
立派な松ですね。
割とどこを切り取っても絵になるのが偕楽園だなという感想です。
ちなみに左下の石は碁盤のようでよく見るとうっすらと線が彫られているのが見えました。
外で松を背景に千波湖を望みながら碁を打つとは粋ですな~
旅を終えて
日本三名園は兼六園も行ったことがあるのですが兼六園が王道の大名庭園だとすると、偕楽園は藩士や庶民の憩いの場という感じで親しみやすい感じがしました。
全然カラーが違ったので最後の1つである岡山の後楽園もいずれ行きたいですね。
それではっ!!